Jan 12, 2009

防犯を意識したリフォームを考えてみましょう

最近物騒なので、ご家庭のリフォーム防犯対策をするのもいいですよね。窓や玄関の防犯性が高いと変更するか、外部からの眺めを良くするなどの対策が効果的なようです。リフォームの方法は、玄関の鍵を変えたり、窓ガラスを割れにくいものと変えたり、モニター付きインターホンを指定して監視カメラを付けるなど、様々な方法があります。
今まで何度も引っ越しをしたが、常に考えはいつのまにかこんなに荷物が増えていたのだ。とのこと。元のお洋服や小物も好きではないので、1年間住むこととしても限られているのに、なぜ何々であふれている。そして、引越しするたびに、何かなくなっていく。引越しするたびに必要なものだけに囲まれた生活をしていこうと思っています。
 「人生劇場 飛車角」など多くの任侠映画や「仁義なき戦い」をはじめとする実録路線で一時代を築き、「日本映画界のドン」ともいわれた東映名誉会長の岡田茂(おかだ・しげる)氏が9日午前5時55分、肺炎のため東京都練馬区の病院で死去した。87歳。広島県出身。後発の東映をメジャー会社に育てた大立者で、その悲報は映画界に衝撃を走らせた。葬儀は東映の社葬と岡田家の合同葬の形で営まれる。

 終戦直後から60年以上にわたって映画界に君臨した「ミスター東映」が逝った。20年近く秘書として仕えた同社顧問の樋口保氏(70)によると、4月に肺炎を起こして入院。この日早朝、彰子夫人(85)、長男で東映社長の岡田裕介氏(61)、長女でコメンテーターとして活躍する高木美也子さん(59)、次女の大黒晴江さん(54)ら家族にみとられて眠るように息をひきとった。正午すぎに杉並区の自宅に無言の帰宅をすると、北大路欣也(68)や松平健(57)らから供花が届いた。

 加齢が原因で2年ほど前から足が弱り、視力も低下したことから車椅子生活を余儀なくされており、樋口氏は「そんな姿を社員に見せたくないと1年ほど前からは出社せずに自宅で療養を続けていた。男の美学だったんでしょう」と語った。

 東大経済学部卒業後の47年に前身の東横映画に入社し50年に日本戦没学生の手記「きけ、わだつみの声」でプロデューサーデビュー。51年の東映発足後は初代社長の大川博氏(71年没)に見込まれ、京都と東京の撮影所長を歴任するなど一貫して製作畑で活躍。美空ひばりと中村錦之助(のち萬屋錦之介)のコンビで「時代劇の東映」の地位を確固たるものにした。

 60年代、テレビの普及で映画界が斜陽化すると任侠路線に方向転換。鶴田浩二、高倉健(80)らを主役にした「人生劇場 飛車角」「昭和残侠伝」、藤純子(のち富司純子)主演の「緋牡丹博徒」シリーズなどをヒットさせ、東映の黄金時代を築いた。65年スタートの「銭形平次」などテレビ時代劇にも力を入れた。

 71年に社長に就任するとプロ球団「東映フライヤーズ」を日拓ホームに譲渡するなど合理化に努め、75年には京都太秦映画村をオープンさせるなど経営者としても手腕を発揮。映画では菅原文太(77)主演の実録もの「仁義なき戦い」を発表して話題を呼んだ。

 豪放らい落な性格で知られ、歯に衣きぬせぬ発言でも知られた。生きざまは中村雅俊(60)主演で「映画三国志」(日本テレビ、90年)のタイトルでドラマ化もされた。78年の日本アカデミー賞の創設にも尽力。その功績を称えて07年に「岡田茂賞」が設けられた。

 ◆岡田 茂(おかだ・しげる)1924年(大13)3月2日、広島県西条町(現・東広島市)生まれ。47年東横映画入社。51年の東映発足後、京都、東京両撮影所長を歴任し「仁義なき戦い」などのヒット作を世に送る。71年から93年まで社長を務めたあと会長、相談役を経て06年から名誉会長。78年から95年まで日本映画製作者連盟会長。95年に勲二等瑞宝章受章。著書に「悔いなきわが映画人生―東映と共に歩んだ五○年」など。

◇岡田茂さん葬儀日程

【通夜】 10日(火)午後6時

【葬儀・告別式】 11日(水)午前11時

【場所】 青山葬儀所=東京都港区南青山2の33の20=(電)03(3401)3653

【喪主】 妻彰子(あやこ)さん

【葬儀委員長】長男裕介(ゆうすけ、本名剛=つよし)氏

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 ★89年5月ランキング★

1 嵐の素顔/工藤静香

2 LAIR/中森明菜

3 Diamonds/プリンセス・プリンセス

4 ごめんよ涙/田原俊彦

5 夢の中へ/斉藤由貴

6 Return to Myself/浜田麻里

7 涙をみせないで/Wink

8 SOMEBODY’S NIGHT/矢沢永吉

9 Fade Out/小泉今日子

10 ともだち/中村あゆみ

注目プラトニックつらぬいて/坂上香織

※ランキングは当時のレコード売り上げ、有線放送、ラジオ、テレビのベストテン番組などの順位を参考に、話題性を加味してスポニチアネックスが独自に決定。

 【夢の中へ/斉藤由貴】

 「歌はダメ。スポットライトを浴びると足がガクガクしちゃって。あがらずに歌える人が信じられない」。女優・斉藤由貴は、いつもはかなげな表情でマイクの前に立っていた。芝居の時の表情と明らかに違っていた。

 デビュー曲「卒業」から13枚目のシングルは、73年に井上陽水が歌ってヒットした作品のカバー。斉藤主演の日本テレビ系ドラマ「湘南物語 マイウェイマイラブ」の主題歌は、46万枚を売り上げ最大のヒット曲となった。

 注目を集めたのが、その振り付け。走っているかのように、手足を振り、それがお尻も振っているように見えてたちまち話題に。おりしもカラオケが街中にあふれ出した時代。この歌を歌っては独特な振り付けを少々オーバーに披露して仲間内の笑いを誘った人も多かった。

 振り付けは斉藤自身の考案。ただ、歌と同様、あまり進んでやっていたわけではなく、何か振り付けをしなければ、というので考えたという。

 歌手でもある崎谷健次郎がプロデュース。米国で学んできたハウス・ミュージックの要素を採り入れて編曲。陽水のロック調の雰囲気とひと味違うものになり、ヒットの要因にもなった。崎谷は斉藤のアルバムも手掛けるなど、“アイドル歌手・斉藤由貴”の後期を飾る存在だった。

 「卒業」「悲しみよこんにちは」など、ベストテンをにぎわしたヒット曲を出しても、歌うことに苦手意識を持っていたことから「夢の中へ」以降は、時々思い出したようにCDをリリースするペースとなり、本業の女優としての活動を優先した。

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